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【マック・マインドフルネス時代の瞑想探し。「魂ナビ」が欲しい!】vol. 1
NYのロハスなサロンでは、ネイルで瞑想。
ニューヨークに3店舗あるヒップなネイルサロン サンデーズ。
そのサックス・フィフス・アヴェニュー・ミッドタウン店では、各ネイルサービスに5ドルを追加すると、ヘッドフォンで誘導瞑想を聞くことが出来ます。6種類の瞑想は、サンデーズの創設者エイミー・リンと、NYにある瞑想スタジオの先駆けMNDFL(マインドフル)の瞑想教師ヴァレリー・オウラ(クンダリーニ・ヨガ瞑想教師)が特別デザインしたもの。
6タイプのセッションは10-16分で、サロンがモットーとする、明晰さ、集中、感謝、グラウンディング(地に足つけて現実を生きる)、手放し、リラックスを目的としたもの。例えばグラウンディング瞑想では、「右の足の親指の先、かかと…。あなたは常に大地とつながり、サポートされています。ただ行うべきは、両足の下にしっかりとした基盤があることを思い出し、そこにつながることです」といった言葉が流れます。
アメリカで物議を醸す、マック・マインドフルネスって?
こうした手の届きやすく資本主義化された瞑想サービスのことを、McMindfulness(マック・マインドフルネス)と言って、サンフランシスコ州立大学のロナルド・パーサー教授が本を書きましたが、スピリチュアリティの商品化だと批判されることも少なくありません。
私はアメリカの禅センターで典座と料理をしながら暮らしていましたが、そこでも間口が広くなるのは良いことだとか、倫理実践無しに瞑想だけを行うのはプラクティスの形骸化だ、とか。はたまた良い瞑想、悪い瞑想という区別性を超えた先に真の実践があるのでは、とか。賛否両論、あるいは賛否を超えた意見が活発に交わされていました。
瞑想を毎日行うには、強い意志が必要です。忙しい生活のなかで、一見なんの生産性も無いような、ただ坐るということを何十分もやっていると、途方もない時間の無駄遣いをしているのではないかとバカらしくなるからです。私自身も禅センターを出た後は1日三度の坐禅が二度になりました。代わりに料理中に野菜を切る指の感覚に集中してみたり、レジ待ちに呼吸に意識を向けて見たりと、日常生活の細部をできるだけ大切にすることで瞑想的に過ごせないかと試行錯誤しています。
そこで個人的には瞑想を行える場が広がることは良いことだと思っています。
サンデーズの瞑想サービスも、顧客たちから「ネイル中だけが自分の時間なの」と繰り返し打ち明けられ、「では瞑想も同時に出来て、より平穏な気持ちになってもらえたら」とスタートしたのだそうです。
私が瞑想を始めた理由は、眠れなかったから。
さて、こちら連載第1話ではまず、私が瞑想を始めたきっかけからお話したいと思います。
初めて瞑想と出合った当時の私は、出版社で女性誌の編集者をしていました。入稿明けで体はぐったりしているのに頭が興奮状態で眠れず、週末は逆にこんこんと眠り続けて寝溜め状態。慢性的な偏頭痛も抱えていました。食周りのページを担当していたこともあって、入社前に比べて体重が12キロも増えてしまいました。
そこで「これではダメだ。運動でもしよう」とヨガを始め、ポーズと瞑想を就寝前の日課にしたことが始まりでした。
その後、ヨガの教本『ヨーガ・スートラ』に出合い、インド哲学の奥深さにはまってインドを旅し、週末にはヨガのインストラクター養成講座にまで通い出したものだから、同僚にも「土居さんは一体どこへ向かっているの?」と訝しがられたっけ。
さて私のように疲労回復のためだったり、またはストレス軽減やレジリエンスの向上、コンパッション(思いやりの心)を育んだり、無我の境地やワンネスの体験、世界平和など、瞑想を始める理由は人それぞれだと思います。
けれどもその先に求めることは共通していて、それは「なぜ瞑想するのか」という点が一致する魂の先生との出会いだと思います。それは実際に会える人でもいいし、本や経典、インターネット動画などでも構わないと思います。
私の場合は欧米にマインドフルネス瞑想を広めた、平和活動家で詩人でもあるお坊さんのティク・ナット・ハン師(愛称:タイ)でした。
その出会いを辿る糸の先端は、一見関係ないような場所にありました。
台湾茶藝館取材から、ティクナットハン師との出会い。
それはanan編集者としての台湾出張で、茶藝館を取材したときのこと。オーナーの寡黙で品の良い老紳士にお茶の親しみ方を習うことになりました。
記事を書くために聞きたいことが山ほどあるのに、「シーッ」と人差し指を唇の上にかざして沈黙を求められ、彼は優雅にお湯をあっちこっちの器に移し替えています。
やっとこさお茶がはいったと手にしても、湯飲みの蓋の香りを嗅ぐことに始まり、なかなか飲ませてはもらえません。
そんな様子で細部にわたって意識を目の前のお茶との体験に向けることになった結果、5分程度の時間が拡張したように感じたのです。
「意識の向け方で、時間の観念は変わるんだ」、「言葉を重ねるよりも、体験することでわかる世界があるのか」と大変驚きました。
当時離婚したばかりだった私にとって、それは革命的で強い癒しの発見でした。
そして帰国後に次の特集のリサーチをしていたとき、彼の教えを参考図書の中で偶然目にします。それは「お茶を飲みながら過去の出来事を思い煩ったり未来のことを心配して意識が今ここに存在しないと、一杯のお茶を楽しむ機会を失いますよ」というタイの言葉の引用でした。そしてその翌年に彼が韓国で瞑想合宿をすることを知り、いてもたってもいられず、参加するに至ったのです。
瞑想中に涙が止まらない。
不眠を解消するためだったはずの瞑想が、タイとの初めてのマインドフルネス合宿で、なぜだか涙が止まらない。「いま、この瞬間」に集中するために坐禅したり、歩いたり、食事をしたりしながら自分の深部と根気よく対話し続けた結果、思考の流れがスローダウンし始めました。そして、ワークホリックやショッピング中毒という形をとって本音と向き合うことを避けてきたこと。隠れた悲しみや怒りが自分の中に在ることに気付かされました。
あるときタイは「マインドフルネス瞑想を企業や軍人にも教えるべきですか?」とマック・マインドフルネスに疑問を感じる人に尋ねられました。それに対してタイは「マインドフルネスは道具ではありません。それは道です」と答えました。
マインドフルネスは手段ではなく在り方。
例えばナイフは野菜や果物を切って調理するために使うことも出来るし、殺人を犯すために利用することも出来ます。道具が持つアイデンティティは一見同じ結果を導くように見えても、用途によって変化します。つまり瞑想体験もその効果も、意図次第で異なるということ。そこで瞑想の道が深まるにつれて、それは『なぜ坐るのか』という冒険になっていきます。
私は15年ほど瞑想を中心とした内省の旅を続けていますが、特にアメリカで生活していた4年半は、スピリチュアル・ショッピングだと揶揄されてしまいそうなほど、心惹かれた場所や先生のもとに手当たり次第に飛び込んでいきました。
スピリチュアル・フリーランスでも、まぁいいじゃないか。
それは、5箇所の曹洞宗の禅センター、テラヴァーダ仏教のタイ・フォレスト仏教寺院、心理学者で仏教実践者が設立した瞑想センター スピリット・ロック、ゴエンカ式のヴィパッサナー瞑想合宿センター、クンダリーニ・ヨガセンター、パラマハンサ・ヨガナンダのSPF、利他主義と幸福の関係を研究するバークレー大心理学部の研究室、人間性回復の震源地 エサレン研究所、フランスのプラム・ヴィレッジ、洞窟にも行きました。コミュニティとの相性も確かめたかったので、ボランティアをしたり働いたりしながら住み込みで学ぶことも多かったです。
その結果、どこでもいつでも寝られるようになった今の私が瞑想する理由は、頭の中の小姑が「良い、ダメ」「好き、嫌い」とすぐに騒ぎ出すところがあるので、それと自分を同一視することから少し自由になり、なるべく愛、尊敬、関心を原動力にして、自分にも他の人にも優しくありたいからです。とても難しくて毎日が勉強ですが。
現在の私の瞑想における先生は、先のティク・ナット・ハン師、レジデントとして暮らしたウパヤ禅センターのハリファックス老師、ヴィパッサナー瞑想のS.N.ゴエンカ師を始めとする、社会に関わる仏教(Engaged Buddhism)を提唱する人々を中心としています。
でも「先生は彼らだけだ」とか「絶対に彼らは永遠に私の先生だ」と決めつけず、常にオープンでありたいと思っています。
瞑想は、自分との出会いの旅。
このように瞑想から始まる旅路やそれに紐づいた出会いには目を見張るものがあります。その最たるものは、自分の色々な側面との出会いだと思います。
例えば東京の女性誌編集者時代はブランド品で武装していた私ですが、渡米して2年ほどホームレス状態になったこともあります。
自分の本音に耳を傾けるプロセスは良いばかりではなく、思わず自分の醜さに触れるときもあります。
瞑想で内観が深まると平穏な気持ちになるばかりではなく、落ち込んだり、がっかりするような経験もします。
でもその冒険を通じて、一見矛盾するようですが少し自由に、自然な笑顔になれます。
そこでこの連載では、「魂ナビ」が欲しい!と題して、私が実践していたり興味を持った瞑想法や、私の魂の先生たち、内観のためのエクササイズ、スピリチュアル実践の場、新しい生き方をする人たちなどについてお届けします。
等身大の私が辿る道しるべに過ぎませんが、あなたのスピリチュアリティ探究のためのささやかなガイドの一つになれば幸いです。
土居彩
編集者。株式会社マガジンハウスに14年間勤め、anan編集部、Hanako編集部にて編集者として、広告部ではファッション誌Ginzaのマーケティング&広告営業を勤める。’15年8月〜’17年5月、カリフォルニア大学バークレー校心理学部にて、畏怖の念について研究するダチャー・ケトナー博士の研究室で学ぶ。’18年9月〜’19年1月、7月、ニュー・メキシコ州サンタフェにあるウパヤ禅センターに暮らしながら、ジョアン・ハリファックス師に師事。現在は、書道家・平和活動家、13世紀の道元禅師を初めて英訳し欧米に伝えた禅研究家の棚橋一晃氏の著書『Painting Peace(平和を描く)』(シャンバラ社)を翻訳中。https://greenz.jp/author/doiaya/
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