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2020年には野宮真貴さんが加入30周年を迎えるが、野宮さんは「そういうタイミングもあるんですけど、小西(康陽)さんはDJでもあるし、自分が純粋にピチカートの7インチを欲しかったんだと思います」と微笑む。そんな小西さんの動機からも、「私はメンバーでしたけど、いちファンでもあります」と語る野宮さんからも、ピチカートへの愛情と誇りが感じられる。
「私は幼い頃から、おしゃれも歌うことも好きで、歌手になる夢があって。それをピチカートで存分に叶えさせてもらいました。想像以上に、海外にも広がっていきましたしね」
今でこそ日本独自のカルチャーが世界中で受け入れられているが、その突破口のひとつとなったのが、ピチカート・ファイヴの飛躍だ。
「’90年代は価値観がガラッと変わった時期でしたね。アナログからCDになったり、インターネットが出てきたり。以前の日本では、音楽やカルチャーもイギリスやアメリカの真似をしていたところがあったけれど、あの時代はそれを十分吸収して、オリジナルのものを出せるようになった。だから海外に対するコンプレックスもなくて、東京が一番かっこいい都市だし、自分たちの音楽が世界一かっこいいって思っていました」
野宮さんのファッションやメイクも注目され、カルチャー全体を牽引したピチカート。その役割は重荷に感じなかったのだろうか? と聞くと「全然! 力が入ったことはないです(笑)」と、軽やかな答えが。
「ステージに立つ以上、夢を届ける立場でいたいと思うんです。だからゴージャスなメイクや衣装でビジュアルを作り込んで、ピチカートの野宮真貴のスイッチを入れる。それで気分を上げて、自信をもらうんです」
「1990年代の東京」の象徴ながら、今作を聴いていると、フレッシュなエネルギーが満ちてくる。野宮さんは「渋谷系は、アンチエイジング効果があるみたい(笑)」と笑うが、確かに代表曲「東京は夜の七時」が椎名林檎さんによってカバーされ、リオパラリンピックの閉会式に使用されていることでも明らかなように、その魅力は今も色鮮やかだ。
「毎年恒例の私のビルボードでのライブも、今年は『野宮真貴、ピチカート・ファイヴを歌う。』と題して、ピチカートだけを歌うんです。こんなにピチカートの曲をたくさん歌うのは解散以来なので、楽しみですね。でも、懐メロにならないように、今の私が、20世紀のピチカートの曲を、21世紀のスタンダードナンバーとして歌おうと思っています。歌もビジュアルも進化させて、やっぱり好きって思っていただきたいです」
野宮さんのピンと伸びた背筋と強い瞳は、当時も今も新時代の女性像を表現し続けている。最後に、美しく年齢を重ねている野宮さんからのメッセージをどうぞ!
「いつでも“今の自分が一番いい”と言えるように、年を重ねて変化していく体や気持ちを、おしゃれや美容によって常にアップデートすること。それを最少の努力で“ほどほど”にやって効率的に美人になる方法があります。詳しくは私のエッセイをどうぞ(笑)」
ベストセレクション『THE BAND OF 20TH CENTURY:Nippon Columbia Years 1991‐2001』【7inch BOX】¥25,000 【CD 2枚組】¥3,200 ピチカート・ファイヴとしてのコロムビアからのリリースは13年ぶり。長らく廃盤で入手困難だった名曲を小西康陽が完全監修。信藤三雄さんのジャケットデザインにも注目。
のみや・まき 北海道生まれ、1990年ピチカート・ファイヴに3代目ボーカルとして加入。2001年の解散後はソロ活動を行っておりビューティのプロデュース、エッセイストとしても活躍中。11月26日(火)から「野宮真貴、ピチカート・ファイヴを歌う。」を大阪、名古屋、東京で開催。今月には『おしゃれはほどほどでいい』(幻冬舎文庫)が刊行予定。
※『anan』2019年11月13日号より。写真・小笠原真紀 ヘア&メイク・冨沢ノボル 取材、文・高橋美穂
(by anan編集部)
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