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【土居彩の会社を辞めて、こうなった。】vol. 73
私土居彩は離婚し、その後付き合った恋人とも別れ、14年間勤めた仕事は辞め(当時はアンアン編集者)4年ほど前に、スーツケース2つでひとり渡米しました。
自分自身もそれを提案しまくっていた人間のひとりですが、世間一般で決められた「幸せ」や「成功」のあり方をもう一度見つめ直して、私にとっての幸せのカタチとは何かを実体験のなかで確かめたかったのです。
まずはバークレーで幸福心理学を学び、アルツハイマーの女性との暮らしで一緒に食卓を囲むという、もっとも基本的で大切なことを教わり、1年ほど前からは定住場所を持たず、ゴールもあらかじめ設定しすぎない放浪生活をしています。
会社を辞めて渡米後にどうなったかをずっとananwebで書かせていただいていますが、ずいぶん音信不通にしておりました。大変申し訳ありませんでした!!!
連載をぶっつり9か月間も放置しながら、一体何をしていたかというと…。
ヴァレラ シンポジウムに参加する。
まず2018年5月にニュー・メキシコ州にある禅センター、ウパヤ禅センターで開催された『ヴァレラ シンポジウム(旧:禅ブレイン)』に参加しました。それは、脳科学者のリチャード・デヴィッドソン博士を始めとする世界的な研究者たちが、非暴力かつ効果的な方法で民族の違いや対立を超えて、解決を導くためのヒントや実例について研究データを交えながら発表、討議するというもの。
ヴァレラ シンポジウム(旧:禅ブレイン)の詳細はこちらをどうぞ。
https://www.upaya.org/social-action/zen-brain/
シンポジウムに参加したのは、大切な友人がつないでくれたご縁で、その後にアメリカ先住民 ナバホ族が暮らす、アリゾナ州にあるビッグ・マウンテンという地での先住民の人々との生活を控えていたからです。
彼らは「この聖地は母なる大地の内臓にあたる場所。それを掘り起すなんてもってのほか」と、アメリカ政府の石炭発掘開発に対する反対活動として、水道も電気もガスも走っていない地で暮らす人々です。
会社を辞めてから、いろいろと学んだり、瞑想したり、お世話になったりしていくなかで、「で、いったい私に何ができるんだろう?」という気持ちが募っていきました。そんなときに「彼らについて日本のみんなに書いてほしい」とお世話になりまくった友達のリクエストを受けることになって、彼らのことを全く知らない私が「でも、どうしたら?」。そのヒントを得たくてシンポジウムに参加したんです。シンポジウムでは、脳科学的にも人間には本来思いやりの心が備わっていることがデータとともに語られ、ヒマラヤやメコン河での環境保全に携わってきた博士なども登壇し、とても鼓舞されるものでした。
ビッグ・マウンテンでの羊飼い生活。
シンポジウム後に勢いづいて、「よし!」とビッグ・マウンテンへ向かったのはいいけれど、想像と現実には大きな隔たりがありました。私は単なる足手まとい。そのうえ精一杯でも、ほぼ無収入状態の私が差し出せるお金は僅かなものです。では精一杯働きますと、羊飼いのお手伝いや家事をしながら数日間暮らしたわけですが、羊毛にへばりついた糞やダニを素手で掃除しても、清潔な水では手を洗えず、またその手で料理を作ります。土埃で髪は砂まみれ、体は汗だくでも、当然シャワーなんて浴びられません。
そして電気がないので、日の入りとともに床の上に羊の皮をひいて耳栓しながらナバホ族の男性ふたりと一緒に川の字になって雑魚寝します。朝一番には都市から運んできたワイン樽大のプラスチックタンクに入れた水道水を、ホースを使って口で吸い込み大型タンクに移す作業をするも、何度も肺に水が入ってしまい窒息しそうになります。
気候変動は、目の前の現実。
ある日、頭にべったりと血がついた羊を目にしました。ここ数年続くひどい日照りによって草木が枯れ、ウサギがいなくなり…。餌を失ったコヨーテが極度の空腹に耐えかね、もはや目の前に人がいても、恐れずに羊を襲うのです。気候変動の影響をまざまざと見せつけられる毎日で、このほかにもここでは書けないようなショッキングな体験もしました。
たった数日間で、おかしな咳にも悩まされるようになり、やむなく山を降りるという苦渋の決断をしました。その後自己嫌悪に陥り、「私なんてなんにもできない、口先ばっかりの人間だ。そんな私が書くものなんて、なんの救いにもならない」と全く原稿が書けなくなってしまったのです……。
エサレン研究所で過ごした1か月。
その後、カリフォルニア州ビッグ・サーにある、オルタナティブ文化の発祥地 エサレン研究所で1か月間、施設の仕事を手伝いながら学ぶ学生(ワーキング・スカラー)として暮らしました。エサレン研究所に志望動機エッセイを書いて選ばれると、通常の1/5ほどの費用で滞在できるのです。
プログラムを担当する先生は、スザンヌ・スカーロックという30年以上のキャリアを持つクラニオセイクラル・セラピーの指導者でした。彼女はそれに瞑想や西洋心理学、先住民の智慧などを組み込んだ独自のヒーリングメソッド“ヒーリング フロム コア(深部からの癒し)”を開発し、全米を中心に世界でワークショップを行っています。
動く瞑想で、号泣する。
授業中に身体の声を聴いて何も考えず、ただ手や足の意志に身を委ねて動くという瞑想法も教わりました。私が日常的に取り入れていた身体の動きを固定するヴィパッサナー瞑想とは全く違うアプローチでしたが、両手を目の上に置いたとたん、涙が止まらなくなりました。スザンヌだけではなく、クラスメートたちにも頑張りすぎ、自己批判しがちだとも助言され、これまで見たくないものをたくさん見てきたことをただ認め、自分に寄り添うという自己ヒーリングに集中しました。優しいタッチで触れ合うヒーリングテクニックも学んで、お互いに癒し合いもしました。
エサレン研究所では、朝からだいたい15時頃まで草むしりや草木の剪定、道路を掃いたり、ベッドメイキングなどに従事し、授業は夕方から開始。また、週に一度はスザンヌの講座だけではなく、ゲシュタルト療法による公開カウンセリングも受けました。授業の後や週二度の休日には、みんなでギターを弾いたり、歌ったり、エサレン名物の温泉にもつかりました。
男女混浴の洗礼。
温泉は、男女混浴なので恥ずかしがっていると、「アヤ、体は美しいよ。恥ずかしくなんかない! 見てごらん!」と全裸でミケランジェロ像のように仁王立ちしてくれた同級生(男性)も(笑)。毎日ダンスをしたり、週末には海で子どもみたいに風車をしてもらったり、会話の流れでまじめくさると絶妙なタイミングでオナラをして笑わせてくれたり……。世界的なセラピストによるクラニオセイクラル・セラピーも受け、たくさん泣いてたくさん笑いました。再び青春時代に戻ったような、まぶしい日々を過ごしました。
本当は全然大丈夫じゃなかった。
実はホームレス旅生活を決行したのは、ここで書いていたほど前向きな理由じゃなかったんです。当時の私は完全に行き詰っていました。
バークレー大でオールAを取っても、討議にはついていけない程度の英語力の私は、とてもじゃないけどアメリカで大学院レベルの心理過程へ進むなんて無理だと思い知らされました。UCSFでインターンするも無給で持続不可能だし、日本人を治験者にした研究のアシスタントをしていても、心理過程大学院レベルの学位が無い未経験者だからと重要なデータ分析には参加させてもらえず、あえなく中断。とある会社では就職を打診されたけれど、ワーキングビザが発行できなかったため、断念します。結果、貯金を切り崩しながら暮らす日々で、「本当に伝えたいことだけを書く」と覚悟したのはいいけれど、ライターとしても満足には生活できていません。
というわけで、こんな全てが中途半端な状態でビザが切れて帰国したら、どんなに恥ずかしくて、悲惨なんだろう? 親や友達は、そんな私のことをどう思うだろう?? 例えば、一時帰国でウィークリーマンションを借りるも、カード先払いにもかかわらず、どこにも所属せず社会的信用がない私は、親の保証人サインがないと契約できないという有様なのです。
消えてしまいたい衝動を抱えながら。
応援してくださるみなさんには本当に申し訳ないけれど、「この世界から消えてしまえたら、どんなに楽だろう……」。そんなふうにも考えていました。日々思い詰めて、ふと「ビザが切れるのは約一年後。どうせこの世界からいなくなるなら、その覚悟で残りの時間と貯金を使って生きてみたらどうだろう?」。そして部屋を引き払い、いままでの思考パターン「何かになろうとする」からいったん距離を置き、直感的にただ思いのまま行動してみることにしたのです。
というダークな思いを、エサレン研究所でワンワン泣きながら初めてクラスメートに告白することができました。そうして、本当は大丈夫じゃないのに、大丈夫なフリをすることで閉ざしてきた心が少しずつほぐれていったのです。
ウパヤ禅センターで4か月間修行。
エサレン研究所の後は、ニュー・メキシコ州サンタフェに再び飛び、ウパヤ禅センターで4か月間雲水生活をしました。素晴らしいシンポジウムに参加したのはいいけれど、頭でわかっているだけで実行に移してみたら何もできなかった私。これからまた実社会の中で生活していく前に、コミュニティと一緒にプラクティスしながら、しっかりとした軸を作っていきたいと思ったのです。
ウパヤ禅センターでは、作務衣姿で朝6時には起床し、7時から坐禅と朝礼。日本語でも読んだことが無かった、ローマ字で書かれた摩訶般若心経を毎日唱え、侍者として導師に付き添い、参禅中の線香を渡したり、袈裟を整えたり。私はキッチン作務担当だったので、典座と呼ばれる料理長とともに毎日5時間以上かけて20人から100人分の3食を作り続けました。
坐禅は朝に加えて、12時、17時半と毎日3度あって、坐りながら開始を知らせるための木版を打ったり、終了の鐘を鳴らしたり。禅センターですが、日本人は私ひとり。アメリカ人を筆頭に、オーストラリア人、ドイツ人、イギリス人、アイスランド人、ポーランド人など老若男女ともに暮らしていました。
2か月ほど経ったときに、腰が痛いという母ぐらいの年齢の女性に変わって皿洗い用の水を溜めた大きなたらいを運び続けるうちに今度は私も腰を痛めてしまいました。毎週鍼治療に通っても、そのときはいいのですが、またぶり返してしまいます。
今の自分でも、いいんだ。
そこでプレジデントに「労働と引き換えに、ここに無償で住みこみ、3食いただいたうえに勉強までさせていただいています。それが十分にできない今、ここを去るべきだと思うのですが……」と相談するとビックリされ、「そんな必要はありません。あなたの問題は、コミュニティ全体の問題です。一緒に考えていきましょう」と言われて、今度は私のほうが驚きました。“いい子”じゃなくても、できが悪くても、私を受け入れようとしてくれる人がいる。不完全な私のままでも居場所はあるのだ。それは、ブレイクスルー的な体験でした。
ジョアン・ハリファックス老師からの学びと癒し。
そして僧院長であるジョアン・ハリファックス老師との出会い。彼女は外国人女性として初めて、昨年曹洞宗の総本山である総持寺で開かれた世界仏教徒会議で基調講演されました。
禅センターを作り、何冊もの本を出版し、世界中を飛び回って講演しながら、毎年医師団を連れてヒマラヤの山奥で病院をキャラバンするという老師。こちらでエンゲイジド・ブディズム(社会と関わる仏教)と呼ばれますが、仏教から学んだ教えを社会貢献に活かしている人として全米でとても尊敬され、大変有名な人です。そこで、お会いするまでは勝手に「鉄の女」的な印象を持っていました(笑)。
そんな老師と初めてお話ししたのは、みんなで輪になって率直な思いを述べ合うカウンシルという集いででした。皆が良い意見を出し合って、では最後の締めくくりをといったタイミングで私が最悪の爆弾を投下しました。それは、
仏心があるなんて信じられない!
「誰もが仏だと言いますが、私はどうしてもそれが信じられません。だって私はすごく自己中心的だし、できればもっと怠けていたい。朝起きるときも、まだ寝ていたいなぁ、面倒臭いなぁといつも思っています。“もっといい人間になりたい”と思うから、こうして修行しているわけで、どんなに坐っても勉強しても働いても、そんな私がそもそも仏だ、なんてとても思えないんです」というずっと抱いていた困惑をストレートにぶつけたのです。
すると老師が、身体全体の慈しみが溢れ出るような思いやりに満ちた目で私をじっと見つめ、ただ「素晴らしい……」「美しい……」と言いました。私を全く否定せず、全身全霊で、ただともに居てくれたのです。それはたった2分程度だったでしょうか。でも、「これが今ここにあるというマインドフルネスの力なのか」、そして「良い悪いと判断せず、ありのままの現実を思いやりの心で見るということが、こんなに癒しになるんだ」と理解するのに十分でした。老師は、本当に包み込むような圧倒的な優しさとエネルギーを持つ美しい人です。
頭での理解を超える体験。
その体験は、言葉ではうまく言い表せないのですが、頭での理解を超えて、「なるほど」が身体の芯部から突き抜けていくようでした。その日から、私は老師とウパヤ禅センターと恋に落ちたのです。
クリスマスには車で2時間ほどいったアメリカ先住民が暮らす集落(プエブロ)へ老師や皆と訪ね、彼らの鹿ダンスを見学しました。寮のドアを開けたら雪が胸の位置まで積もっていて、平泳ぎの手で雪かきしながら朝一番のトイレに行く経験もしました。毎週グルテンフリーのタルトを焼いてくれるレジデントがいたり、安居(あんご)と呼ばれる1か月間の集中修行の後で「髪への執着から自由になりたい!」というレジデントのために急遽ヘアサロンをオープンしたりも(その様子をビデオで記録したら、以来ヨーコ・オノと呼ばれるようになりました、笑)。
そんなふうに一緒に笑ったり泣いたり怒ったり支えあったりしながら、ウパヤ禅センターでの4か月間が過ぎて行きました。
禅センターを出た今は、まだ少し夢の中にいるようです。しばらくバークレーで翻訳作業に携わりながら生活していますが、今は「こうなりたい」とか「こうしたい」という気持ちがますます薄れていて。価値観や自分の状況がより鮮明に把握できるようになってきたにも関わらず、なんだか少し他人事のような感じなんです、自分の人生が。今ここから自分がどこに向かっているのか全くわからなくて、ちょっと怖いけれど、意外にそれをあまり怖いとも思っていないことがまた怖いというか(笑)。うまく説明できないんですが。でも、目の前のことや人たちにはできるだけ誠実に。今ここに集中して気をそらさず、できる限り、目の前の責任を果たしたいと思います。
SEE YOU!
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女ひとり放浪旅…先住民族との暮らしや修行僧生活、涙々の壮絶体験。#73 – 写真/文・土居彩 | ananweb – マガジンハウス